管理と可視化を考えてみました
「管理」という言葉についてあらためて考えてみると、私が最初に思い浮かべたのは、管理する側ではなく「管理される側」でした。そして、その瞬間に感じたのは、どちらかといえば嫌な印象でした。行動をチェックされる、数字を追われる、決められたルールから外れていないかを確認される。管理という言葉には、どうしても人の行動を制限するような響きがあります。
しかし、少し視点を変えて考えてみると、管理にはまったく逆の側面もあるのではないかと思います。一定の管理の枠が明確に存在するからこそ、「ここまでは自分で判断してよい」という範囲も明確になるからです。何の枠もない状態が本当に自由なのかというと、仕事の世界では必ずしもそうではありません。判断基準が分からなければ、その都度上司に確認しなければならず、結果として自分では何も決められなくなります。
そう考えると、管理とは単純に人を縛ることではなく、むしろ人が自分で判断できる範囲を明確にするための仕組みなのかもしれません。
では、その管理はどこから始まるのでしょうか。
私は、その出発点に「可視化」があると考えています。
可視化することと管理することは同じではない
最近では、ビジネスのさまざまな場面で「可視化」という言葉が使われます。売上の可視化、業務の可視化、コストの可視化、進捗の可視化など、対象はさまざまです。ITツールの進歩によって大量のデータを集め、グラフやダッシュボードとして表示することも以前より容易になりました。
ただし、数字を画面に表示したことをもって「管理できるようになった」と考えることには少し違和感があります。私の中では、可視化と管理は明確に別のものです。
可視化とは、それまで感覚的にしか捉えていなかった状態を、数字などによって見える状態にすることです。一方の管理は、そこで見えた事実を材料として、人がこれからどうするのかというプランを考え、そのための枠を作ることではないでしょうか。
したがって、可視化した結果として数字が悪かったから、すぐに対策を実施しなければならないというわけでもありません。状況を確認した結果、「これは想定していた範囲内である」「翌月のリカバリープランがあるので、今回は特別な対応をしない」と判断することもあるでしょう。それも一つの管理だと思います。
つまり、可視化は答えを出すものではありません。人が判断するための材料を提供するものです。そして、その材料を使ってプランを考え、実行する範囲や判断基準を決めるところから管理が始まるのだと思います。
そういう意味では、「可視化=管理」ではありません。しかし、可視化されていないものを適切に管理することも難しい。
私はこの二つの関係を、「可視化しなければ、管理は始まらない」という言葉で捉えています。
営業数字をグラフにして分かったこと
このことを考えるとき、私自身の営業経験の中で印象に残っている例があります。
営業では月次の売上目標を設定し、その進捗を追うことが一般的です。当然、毎月の売上数字は確認しているのですが、数字を単純に一覧表として見るのと、日ごとの進捗を折れ線グラフとして見るのとでは、受け取る情報が少し違います。
以前、月次売上の進捗を日ごとに折れ線グラフにして見ていたところ、ある傾向が見えてきました。月の前半では売上数字はそれほど大きく伸びず、20日頃から数字が上昇する傾向がありました。そして過去の推移を見ると、20日頃の時点で月間目標の55%程度まで到達していれば、その後の売上によって月末には100%へ到達することが多いことが分かってきました。
営業を長く経験していれば、このようなことは感覚的には分かっています。「このくらいまで来ていれば今月は大丈夫だろう」「今月は少し厳しそうだ」といった感覚です。いわゆる「経験上」というものです。
経験そのものは決して悪いものではありません。長い期間、同じ仕事に携わっていれば、数字を一つひとつ分析しなくても状況を判断できるようになります。それは経験によって蓄積された重要な能力です。
ただし、「経験上、今月は大丈夫」という言葉だけでは、その判断基準を他の人と共有することができません。
ところが、売上の推移を可視化してみると、「経験上」の中身を少しずつ説明できるようになります。「20日時点で80%を超えている月は、最終的に100%へ到達することが多い」というように、それまで頭の中にあった経験を言葉と数字に置き換えることができるからです。
ここに可視化の大きな価値があると思います。
「経験上」を否定するのではなく、言語化する
データを重視するというと、経験や勘を排除することのように捉えられる場合がありますが、私はそうは考えていません。むしろ、経験をデータによって説明できるようにすることが重要なのだと思います。
「経験上、こうなる」と考えているのであれば、「なぜそう思うのか」を一度考えてみる。そして、過去のデータを見て、その経験則が実際に成り立っているのかを確認してみる。そうすることで、個人の頭の中にしかなかった経験を、他の人と共有できる知識に変えることができます。
さらに重要なのは、その経験則から外れたときです。
例えば、通常であれば20日時点で80%程度まで到達しているはずなのに、今月は50%しかない。その数字が可視化されていれば、「今回はいつもと違う」ということを早い段階で認識できます。
ここで初めて、「なぜ今回は違うのか」という具体的な議論が始まります。案件の進捗が遅れているのか、予定していた受注が翌月へずれたのか、新しい案件そのものが不足しているのか。原因によって打つべき手は当然変わります。
重要なのは、可視化によって問題が解決することではありません。問題に気づくタイミングを早くできることです。
「経験上、月末には何とかなる」と考え続け、月末になって初めて「今回は何ともならなかった」と分かったのでは、手を打つには遅すぎます。「経験上」という感覚を言語化し、数字として確認できるようにしておけば、そのパターンから外れた段階で異常に気づくことができます。
可視化とは、経験を否定するためのものではなく、経験をより有効に使うための仕組みとも考えられるのではないでしょうか。
見たくない数字が見えることから議論が始まる
もちろん、可視化された数字が自分の考えていた通りになるとは限りません。むしろ、自分の経験や思い込みと違う数字が出てくることがあります。
これは決して気持ちのよいことではありません。
人には、自分が正しいと思ってきたことを肯定する情報は受け入れやすく、反対の情報については理由をつけて否定したくなる面があります。「今回は特殊なケースだ」「データの取り方が悪い」「数字だけでは現場は分からない」と考えることもあるでしょう。
しかし、私は可視化によって人が不幸になるとは思いません。
最初の段階では、それまで「経験上」という言葉で済ませてきたことが数字によって否定されることもあります。それでも数字が見えるようになれば、そこから新しいディスカッションが始まります。
それまで「私はこう思う」「いや、私は違うと思う」という、それぞれの経験に基づく議論だったものが、「なぜこの数字になっているのだろう」という共通の事実を出発点とした議論へ変わっていきます。
私は、ここも可視化の重要な役割だと考えています。
可視化によって示された数字が、そのまま答えになる必要はありません。その数字が正しいのか、なぜそうなったのか、別の見方をする必要はないのか。それを議論すればよいのです。
大切なのは、議論するための共通の材料が存在することです。
管理する数字が間違っていることもある
一方、可視化された数字を使って管理する段階では、別の問題もあります。それは、管理のために設定した数字そのものが適切なのかという問題です。
企業では売上、利益、コスト、納期、生産性などについて、さまざまな目標が設定されます。現在の実力より少し高い目標を設定し、それを目指すことで組織を成長させるという考え方もあります。
しかし、私自身の経験では、ストレッチされた目標が現実からあまりにも離れてしまうと、目標としての実効性が失われることがあります。
最初のうちは「どうすれば達成できるのか」と考えます。しかし、どう考えても達成できない目標を毎月与えられ続けると、やがて人の思考は変わってきます。
「どうすれば達成できるか」ではなく、「なぜ達成できなかったのかを、どう説明するか」を考えるようになる。
つまり、改善策ではなく、言い訳を考えるようになるのです。
これは管理の本来の目的から離れているように思います。
目標数字を設定して毎月その達成率を確認すること自体が管理なのではありません。可視化された現状を理解し、そこから課題を明確にし、実行可能なプランを考え、その結果を評価する。この一連のプロセスがあって初めて、数字は管理に使えるのだと思います。
「何もしない」という判断も管理である
可視化によって問題が見つかると、「何か対策をしなければならない」と考えがちです。しかし、必ずしもそうではありません。
例えば売上が一時的に計画を下回っていたとしても、翌月にリカバリーするプランが明確になっている場合があります。そのプランを確認し、実現可能性があると判断したうえで、「今回は特別な対策をせず、このプランで進めよう」と承認することもあります。
私は、これも立派な管理だと思います。
数字が悪ければ必ず何かをすることが管理なのではありません。状況を把握し、何をするのか、あるいは何もしないのかを判断することが重要です。
可視化は、その判断をするための材料を提供します。しかし、最終的にプランを考え、判断するのは人です。
管理とは「正当な評価をするための枠組み」ではないか
今回、「管理とは何だろう」とあらためて考えてみて、私なりに一番しっくりきた表現があります。
管理とは「正当な評価をするための枠組み」である。
ここでいう評価は、必ずしも上司が部下を評価するという意味ではありません。むしろ、実施した施策そのものを評価するという意味です。
ある状況に対してプランを立てて実行した。その結果、何が起きたのか。想定通りだったのか、想定から外れたのか。うまくいかなかったのであれば、プランが悪かったのか、それとも前提条件が変化したのか。
そうしたことを正当に評価するためには、最初に何を目指していたのか、どの範囲で判断するのかという枠が必要になります。
そして、その枠が明確になっているからこそ、実務を担当する人にも自由が生まれます。
「この範囲であれば、自分で判断してよい」と分かっていれば、その範囲の中で自分の考えに基づいて行動できます。
反対に管理の枠が曖昧な組織では、自由に見えて実際には自由ではありません。判断基準が分からないため、「これはやってもいいですか」「この金額を使ってもいいですか」「この方法で進めてもいいですか」と、その都度上司に確認する必要が生じるからです。
管理を強くすると自由がなくなる、と単純に考えるのではなく、適切な管理の枠があるから、その中で人は自由に動けると考えることもできると思います。
可視化は管理の「答え」ではなく「始まり」
ここまで考えてみると、可視化と管理の関係が少し整理できます。
可視化とは、それまで経験や感覚で捉えていた状態を、他の人とも共有できる形にすることです。可視化することで、「経験上こうだ」という考えを言語化することができ、それまで見えていなかった変化にも早く気づくことができます。
ただし、可視化された数字は答えではありません。
20日時点で売上が50%しかないという数字を見たとしても、それだけでは何をすべきかは決まりません。原因を調べ、必要ならリカバリープランを作ることもあれば、翌月まで含めた計画を確認したうえで「今回は何もしない」と判断することもあります。
その判断をするのは人です。
だからこそ、私は「可視化」と「管理」を分けて考えたいと思います。
可視化によって事実を共有する。そこから課題を明確にし、人がプランを考える。そして、そのプランを実行するための枠を作り、結果を評価する。必要であれば、またプランを修正する。
これが管理なのではないでしょうか。
そう考えると、管理の出発点は「管理すること」そのものではありません。まず、今どうなっているのかを知ることです。
可視化は管理ではない。しかし、可視化しなければ、管理は始まらない。
そして管理とは、数字によって人を縛ることでも、細かく監視することでもありません。現実を共通の事実として捉え、そこからプランを考え、その施策を正当に評価できる枠を作ること。その枠が明確だからこそ、「ここまでは自分で判断してよい」という自由も生まれます。
可視化という言葉が、単にグラフやダッシュボードを作ることを意味するようになってしまうと、この本来の意味を見失ってしまいます。
何を表示するかよりも、その数字を見て何を考えるのか。そして、そこからどのようなプランを作り、どのように評価していくのか。
可視化の価値は、きれいなグラフを作ることではなく、それまで「経験上」という言葉の中に隠れていたものを、議論できる状態にすることにあるのではないかと思います。

